パーソナルなコンピュータのメモリ事情 (第5回: 8086前期)
8ビットCPUで無理をするよりメモリ空間の広い16ビットCPU 8086/8088を採用したものも現れました。
初期の代表機種には以下のようなものがありました。
8ビットCPUで無理をするよりメモリ空間の広い16ビットCPU 8086/8088を採用したものも現れました。
初期の代表機種には以下のようなものがありました。
「8ビット中期」で書いたバンク切り替えという手法はメモリ空間をいくらでも増やすことができるものですが、活用するプログラムを作成するのはかなり大変です。GVRAMなどには向いていますが、メインメモリを64kを超えて拡張してもなかなか有効には活用されません。RAMディスクなどとして使われることが多かったと思います。
その中でMMUを搭載してこれに立ち向かった機種もいくつかありました。バンク切り替えと大きな違いは、バンクではCPUのメモリ空間の特定の場所にしかマップできませんが、MMUでは好きな場所に出現させることができます。
シャープのMZ-2500や日立のS1がそうです。
前回書いたように初期のパソコンではCPUのメモリ空間(64kB)は十分なものでした。ところが程なくして不足するようになります。
1981~1982年ごろ発売の代表機種にはこんなものがありました。
最初はオプションとしてフルキーボード・モニタ(多くはテレビで代用)出力・増設メモリを載せてBASICが使えるといった状況でしたが、やがていわゆる「パソコン」と呼ばれるものが登場します。
日立のベーシックマスター、シャープのMZ-80K、NECのPC-8001等です。
今回から数回にわたって「パーソナルなコンピュータのメモリ事情」を書いてみたいと思います。「パソコン」としないのは個人でプログラムできるコンピュータとしてもう少し広く考えているからです。
日本では上の条件を満たす最初のグループは半導体メーカがトレーニングキットとして販売したマイコンボードでしょう。本来はエンジニア向けのものですが、ホビーストが飛びついてブームとなりました。
その他アメリカからAltairやIMSAIを輸入したり、個人で自作することも多かったようです。
代表的なものをいくつか挙げてみます。カッコ内はソケット等で増設可能な最大容量です。
先日のVzエディタの記事で予告したとおり、過去に使っていたエディタについて書いて見ます。
10 "entry:
20 " mov d0,#$3400
30 " rts
BASICのプログラムとしては文法エラーですが、そのまま(中間コードに変換されたりせず)保存されるのでアセンブラはそれを読み取って処理するという寸法です。
豆電球は乾電池とならび小学校の教科書にも登場する誰もが知る電気部品ですが、家庭用の白熱電球が次々と生産終了になる中いつまで残るのでしょうか?
これはジャンク箱の中から発見した豆電球、ねじ込み式ではなくバヨネット式です。
何かを分解してソケットごと取ったものだと思いますが、ソケットの方は未発見です。
「FK8V0.3A」と刻印があり、定格が8V 0.3Aであるとわかります。
「私の~遍歴」シリーズももう6回目です。
今回はディスプレイ、自宅でメインに使ってきたものたちを取り上げてみようと思います。
これまでにZ80ボードは1号機, 3号機, 4号機(MAA-1)と紹介してきました。そう、2号機がまだなのです。今回はその2号機について書いてみたいと思います。
まずこの「2号機」という呼び方です。1号機が最初で4号機が最後(今のところ)なのは確かなのですが、どうも2号機と3号機は製作順序が逆のように思えてきています。でも「3号機」という表記をすでにかなり使っていて面倒なのでこのまま行きたいと思います。
ふとZ80ボード 3号機で遊んでいたときに考えたルーチンを思い出しました。
1: 8000 ORG 8000H
2: 8000 check:
3: 8000 7E LD A,(HL)
4: 8001 AE XOR (HL)
5: 8002 C9 RET
ルーチンと呼ぶのもおかしいほどの短いコードです。何をするものでしょうか?
Z80のコードがわからない人のために簡単に解説するとこんな感じです。
簡単ですね。